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妹よ弥生間近の雪がふる幼きお前思う雪降る
by 岡部桂一郎 『一点鐘』 雪ふれば兄妹でありしこと紅白歌合戦(こうはく)など見しことを思ほゆ by curtaincall31 「雪のプリズム」 ▲
by curtaincall31
| 2005-12-13 19:40
| 一点鐘
逆さまに人往き来する巷かなこの幻を冬至とぞいう
by 岡部桂一郎 『一点鐘』 師走にはいって早3日。12月22日の冬至までは、日はどんどん短くなるばかり。 「逆さまに人往き来する巷かな」という上句の表現。とっぷりと日が暮れたころ、気ぜわしくたくさんの人が行きかっている繁華街を想像する。店の電灯に照らされて、どこかに人が逆さまに写っていたりするのかもしれない。作者もその群れの中にいるのだろうが、お互いに関わりあうこともなくすれ違うのみ。 下句で、その情景を「幻」として、これこそ「冬至」と強く断定している。この季節の体感のようなものを、的確に表現していると思う。 ▲
by curtaincall31
| 2005-12-03 23:24
| 一点鐘
家ごとにみんな風呂もつ核家族箱のなかなる幸せなんて
by 岡部桂一郎 『一点鐘』 破調が少ないのもこの作歌の特徴だろうか。 塔の全国大会の歌会では「定型過ぎる」(物足りないの意味)という批評をよく耳にしメモしていた。それも選者クラスの人がよく言っていた。 それはともかくとして、こんなところから現代社会を批判的にとらえた歌というのも珍しいように思う。ひとつの家単位で完結してしまって、それでいいのだろうかという疑問。箱のなかが決して幸せとは限らないことは誰の目にも明らか。 ▲
by curtaincall31
| 2005-11-21 23:24
| 一点鐘
休まんと体の影の近づけば木製の椅子緊張をせり
by 岡部桂一郎 『一点鐘』 『一点鐘』の巻末の歌である。 「作者の位置が分からない」という批評は、たいていその歌のマイナスを指摘するときに用いられる。しかし、この作者の場合は、「われ」の位置の妙なあいまいさが魅力の一つではないかと思われる。 「わたしが~」「わたしは~」という自己主張が前に出た歌は極めて少ないと思う。 この歌も、近づいた体の影は作者自身と思われるが、その根拠は、「ん」という意思の助動詞一字のみのうちにある。それとなく自身と思わせながらも、視線は離れた位置からのものであり、むしろ、「木製の椅子が緊張する」という奇妙なことを言ってのけ、読者をしばし混乱させる。 そのへんのシュールな感覚が、決して難しい言葉をもちいず、奇抜な表記もせず、むしろ淡々としているからこそ、尚一層シュール感が増すというあたり、おもしろいなぁとつくづく思うのである。 ▲
by curtaincall31
| 2005-11-08 22:59
| 一点鐘
鉛筆がひろげし紙にぐっすりと眠るほとりを立ちて来にけり
by 岡部桂一郎 『一点鐘』 一点鐘の巻頭歌である。 実はこの歌集を最初に開いてこの歌を目にしたとき、読みの挫折を感じたのだった。何度読んでも意味がとれないのだ。「鉛筆が」がどこにかかっているのかわからない。「眠る」のは誰か(いや何か)、「立ちて来にけり」の主格は何か。 この歌集は難しそう、という第一印象をもってしまった。とりあえず、この歌の読みはさておき、次の頁へと読み進むうちに、次第にこの作者の世界のとらえかたのようなものが、感覚としてわかってきたように思う。 ひろげた紙の上に、鉛筆がぐっすり眠っているのだろう。作者は歌人であるから、歌を書こうとしている途中だったかもしれない。鉛筆を起こさないように、そっとその場を離れてきた。という意味に私はとった。「ほとり」という言葉の語感がやわらかく、味わい深いと思う。 もしかしたら、別の読み方もあるかもしれないなぁと思いつつ、正解は一つではないのだから、自分の読みはとりあえず今はこれでよいと思っている。 ▲
by curtaincall31
| 2005-11-07 23:12
| 一点鐘
鉛筆が二本尖りて接近す小現実は冬の昼ごろ
by 岡部桂一郎 『一点鐘』 小現実という一連の冒頭の歌。 白日夢のような感じだろうか。鉛筆や紙や消しゴムとかの身近な文房具が、この人にはちょっと変な風に(シュールに?)見えたりするのかなぁと思ってしまう。 擬人法というのとも違う。人にたとえているのではなく、本当にそう見えるのではないか。と思わせてしまうところが、巧みさだろうか。いや、技法というより、対象物をじーっとよーく見つめている結果かもしれない。 決して、奇を衒っているわけではなく、さり気ない平易な言葉の定型である。 「冬の昼ごろ」という時間設定もうまい。 ▲
by curtaincall31
| 2005-10-19 21:59
| 一点鐘
ほがらかに蛙の畦に鳴ける梅雨 難儀なことがひとつあるなり
by 岡部桂一郎 『一点鐘』 定型ぴったりである。内面に移るときのワンテンポとして一字空けがあるくらいで、技巧に凝ったところがない。シンプルな作りでである。 「ほがらかに」と蛙の鳴き声を描き出し、下句に展開する。「難儀なこと」ってなんだろう?と考えてしまうが、それ以上のことはわかりえない。だがわからなくとも、「難儀なことがひとつあるなり」とポツンとつぶやいてしまう、やや閉塞した心理というものは共感をよび、、読者は自分にとっての「難儀なこと」を思ってしまうではないだろうか。 上句、下句ともに、読み間違うということはありえない。平易な文体というのが、この作者の魅力のひとつだろう。 ▲
by curtaincall31
| 2005-10-16 21:52
| 一点鐘
小指薬ゆびなか指人さし指少しはなれて憩う親指
by 岡部桂一郎 『一点鐘』 初句、二句が、「句割れ」というのか「句またがり」というのか読みづらいが、12音で数は合っている。また下句はぴったり定型である。上句の窮屈なリズムは、親指以外の指がくっついて並んでいる様を絵に描いたようだ。「憩う」が効いていると思う。 何か特別なできことが起きたり、どこかに旅行でもしないと、歌の材料が乏しいように思えてしまうが、てのひらをじっと見ているだけでこんな歌が作れてしまうんだなぁと思う。 ▲
by curtaincall31
| 2005-10-07 21:38
| 一点鐘
猫じゃらし風に遊んでいるけれど太郎と花子もう帰らない
by 岡部桂一郎 『一点鐘』 定型ぴったりに収まった、平易な言葉とリズム。一読してすっと心に落ちてくる。「太郎と花子」という固有名詞は、実在ではないのだろうが、大変愛しい者たち、を読者にイメージさせるだろう。猫じゃらしが風に揺れている動きは、「もう帰らない」という断定の奥にある、さびしさ、はかなさ、愛しむ心の揺れを、語らずも表していると思われる。 この歌は、「じかん」という一連の中ほどに置かれている。タイトルのひらがな表記にも作者のこだわりというか、深く内面化された時間の流れを感じる。 この歌の前に置かれた歌を紹介しておきたい。結句がリフレインのようになっている。 里芋の畑の上に月が出て逝きたるものはもう帰らない by 岡部桂一郎 ▲
by curtaincall31
| 2005-09-26 23:02
| 一点鐘
わが母よあなたが死んで十五年今夜大きな月が上った
by 岡部桂一郎 『一点鐘』 作者の好むモチーフがいくつかあるなと気づいた。そのひとつが月である。月が出てくる歌は、数えていないが多いと思う。その他、猫、雪など。 初句「わが母よ」で、ぐっと読者の心情にはたらきかけながら、その後くどくどセンチメンタルに流れてはいない。非常に単純明快な措辞が、一読して読者の胸のうちに入って、覚えてしまう。 「わが母よ」の五文字だけで、作者の母に対する思いの深さはわかってしまうわけで、短歌というのは、あまりいろんなことを、ごちゃごちゃ盛り込まないほうがいいのだと思う。 ▲
by curtaincall31
| 2005-09-19 22:52
| 一点鐘
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