作者は、はじめて安楽死を選択した日本人女性である。
ネーダーコールン靖子は1945年生まれ。17歳のとき、2歳年下のロブ・ネーダーコールンと文通を始め、10年後二人は初めて会い結婚し、オランダに渡る。
1987年(42歳)、甲状腺ガンを発病。長男ケース君11歳、長女菜菜ちゃん7歳のときである。
大学でフルートを専攻していた靖子さんは、発病後、短歌や俳句、油彩画、パステル画を始める。短歌はオランダから朝日歌壇に投稿していたらしい。闘病しながら、自宅に画廊をオープンし、自身のパステル画や友人の展覧会を開いている。
10年の過酷な闘病の後、1997年9月17日(52歳)、家族と友人に囲まれ、自らの意思で安楽死を遂げる。ケース君21歳、菜菜ちゃん17歳であった。歌集の表紙は、靖子さんによるパステルの美しい花の絵である。
否定することなく生きたる青春の置き土産なり孤独というは
ミルクなど買い来たる朝この程度の健康ください明日もと祈る
吾が胸に長き黒髪あずけくるわが娘の秋の哀しみ深く
何を流して欲しいかと息子の吾に聞く音楽のことらし吾が葬送の
みなさまどうぞ良いお年を。
許された時間の限りわたしたちは、歌いましょう、描きましょう、踊りましょう。