歌の読みはそもそもひとつではない。言葉上ひとつであったとしても、そこから読み手の想像がいろいろにふくらむものである。ふくらみがない歌はあまり魅力のない歌だろう。
しかし、意味的に、どうしても「ああも読めるこうも読める」という場合がある。
その場合、「読みが定まらないのはこの歌の弱さ」と否定的な批評を受ける場合。
逆に、だがこう読んだほうが楽しいとかいって、、「ああも読めるこうも読める」部分は許容される場合があると思う。前者と後者は、どのへんに違いがあるのかと常々思っている。
ああかこうかによって、全く違う歌になってしまい、その確率が五分五分位で、鑑賞するには落ち着かないという場合、「弱さ」と言われるのか。
「歌は措辞(言葉の使い方)から読め」ともよく言われる。そこに書かれている言葉から先ず読み取るべきで、書かれていないことまで勝手に想像して、こうであるに違いないと決め付けたりするのはいけないと。
初心者のおかしやすい誤り。自分の個人的体験にひきつけて、作者はこういう状況でこういう心境であるにちがいない、私も同じ体験をした、よく気持ちがわかる、だからいい歌だ。
書かれているのはここまでだけれども、この一字の助詞からこのようなことが感じられる、あえて書かないことで書かなかったことが浮かび上がってくるとか、推測の根拠を検討しあうのが歌会だろうか。