塔の久保茂樹さんの第一歌集。とてもいい歌集である。たとえばこんな歌がある。
『火垂るの墓』のせつ子の感じ 帰り来しわれを見上げて猫が啼くなり
文語旧かなでありながら、発想がものすごく斬新。他に家族の歌がいいと思った。
浴室を古き歯ブラシに研きをる妻よ細部にこだはる勿れ
烏賊を洗ふやうに子どもの手をあらふ軟骨のゆび透きとほるまで
編み棒を毛糸の玉に刺したまま子はふたつめの恋ををはれり
身籠れるひとのやうにもおもはれていただきものの林檎剥きやりぬ
スピッツをこの子は好きで少しばかり大人しすぎるとおもふも云はず
きみが言ふわがままのへんにうれしくて週刊誌二冊買ひ足しにけり
誰ひとり気付かぬままに暮れてゆく夕空のやうに父は居たのだ
最後の歌は、お父さんの一連だが、この歌集の中で一番重みのあるところではないかと思う。
無精ヒゲ生やして人を追ひ払ふ鬼の気持ちがわかりかけてる
渾名にて呼ばれしことのなきわれはなにか決定的な欠落がある
ディテールにこだはる国のゆふぐれはあと五分ですと風呂がいふなり
日曜の朝に摘みますつんとした少女のごとき赤唐辛子
春の夜の厨の隅にころがれる猿のかうべのごときたまねぎ
おほどかにキリンの首の日時計の冬日にぬるき影曳きてをり
藍色が澄んできたなとおもふ間にこはいくらゐの月が出てきた
台所やお風呂場の歌も多く、日常生活の隅々に歌の材を見ているところは、男性歌人としては貴重な存在のように思われる。
以上歌は
『ゆきがかり』久保茂樹 より
ぜひお読みください。